三里塚闘争はドキュメンタリー映画を「撮る側」が当事者の青年たちを闘いの中心へと育てた

原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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ドキュメンタリー映画の場合、「撮られる側」の人たちより「撮る側」の方が、コトの本質をより的確に、理解、把握している、といったことが起こり得る。

撮る側にいるスタッフ自身が、自分たちの方が理論的に先行していると自覚している場合、カメラを向ける側の人たちに対してとる態度は、誠実に、丁寧に、状況の分析をし、議論し、コトの本質について、理論武装をリードしていく、ということになる。

決して、理解の劣った、遅れた人たちを教え導くという“奢った”態度をとることはない。闘うのはあくまでも当事者であり、スタッフが闘うわけではないからだ。もう少し詳しくいうと、撮る側の人たち、つまりスタッフは、コトの本質を抽象化して考えることが可能。あくまでも理論的に、思考を深めることができる。・・・・[続きはコチラ]