創造者が自分から離れて「世界に欠落するもの」を埋めるアプローチ -茂木健一郎
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<創造者が自分を離れるということ>
創造者が、自分から離れて、世界に欠落するものを埋めるアプローチをとるときに、取りうる一つのやりかたがあって、それは対象物の「発見」と「創造」を近づけることである。
ミケランジェロは卓越した技術をもった彫刻家だが、バチカンにある古代ギリシャの傑作ラオコーンが、ミケランジェロによるものだという説がある。専門家からは否定されているが、興味深い論点がある。
ミケランジェロの頃も、古代ギリシャの彫像は高く評価されていて、実際にそのような彫像をつくって売る、という需要があった。ミケランジェロが、自ら彫ったものを、自分の作品ではなく、古代ギリシャの彫像だとして世に出すというイメージには、何ともいえない魅力がある。
デュシャンの『泉』は、すでにあった便器を買ってきたというのが定説だが、デュシャン自身が造形し、焼いて、それをありもの(ready made)として出したという説もある。真偽は別として、興味深い仮説である。【続きはコチラ・・・】